どうやってイスラームに入るか?

人は2つの証言(シャハーダ)を‐その意味を理解し、それを確信し、その意味するところに従いつつ‐口にすることで、イスラームに入ります。2つの証言(シャハーダ)とは、以下の通りです: 

  1. アシュハド・アッラー・イラーハ・イッラッラー(つまり:私は、アッラー以外に真に崇拝に値する存在はない、ということを証言し、信じ、いかなる共同者もないかれのみを崇拝します、という意味)。
  2. アシュハド・アンナ・ムハンマダッラスールッラー(つまり:私は、ムハンマドが全人類に遣わされたアッラーの使徒であることを証言し、彼の命令に従い、彼が禁じることを避け、彼の教えとスンナ(47ページ参照)に沿って、アッラーを崇拝することを証言します、という意味)(42ページ参照)

新改宗者のグスル:

イスラームに入った瞬間とは、人生における最も偉大な瞬間です。それは真の誕生なのであり、人はその後に、人生における自分の存在理由を知るのです。そしてこの宗教に入った者には、グスル(96ページ参照)をし、全身に水を行き渡らせることが定められています。つまり内面をシルク(58ページ参照)と罪から清めたのと同様に、水でグスルすることによって外面も清めることが、勧められているのです。

 預言者rは、ある教友‐あるアラブの指導者‐がイスラームに入ろうとした時、彼にグスルするよう命じました(アル=バイハキー837)。

悔悟

悔悟とは、アッラーに立ち返ることです。つまり自分の罪や不信仰から足を洗い、心から正直にアッラーに立ち返る者は、アッラーに悔悟したことになります。

ムスリムは、人生のあらゆる段階においても、悔悟と罪の赦しを乞うことを必要としています。なぜなら人間とはその性質上、間違いを犯すものだからです。それで過ちを犯すたび、アッラーに罪の赦しを乞い、悔悟することが命じられているのです。

正しい悔悟の条件とは?

悔悟は、あらゆる罪‐不信仰やシルクを含む‐に対するものであり、それが受け入れられ、有効なものとなるには、以下の条件を満たさなくてはなりません:

  1. その罪から手を引くこと:

何らかの罪を犯しつつ、その罪から悔悟する、などということは、成り立ちません。一方、正しい悔悟の後で、その罪に戻ってしまった場合、その前の悔悟は無効とはなりません。ただし、新たにその罪から悔悟する必要が生じます。

  1. 既に犯してしまった罪に対する後 悔の念:

過去に犯してしまった罪に対し、後悔し、悲しむこともなく悔悟することは、なかなか想像しにくいものです。そして過去の罪について口外し、それを自慢し、得意にするような人は、後悔しているとは見なされません。預言者rが「後悔は、悔悟である。」と仰ったのは、このわけです(イブン・マージャ4252)。

  1. その罪を再び犯さないことの決心:

ゆえに悔悟の後に、またその罪に戻ることを意図しつつする悔悟は、有効ではありません。 

決心を実現するにあたってのステップ:

  • まず、状況や結果がいかなるものであろうと、自分が陥っていた状態には決して戻らない、と決意することです。預言者rは、こう仰いました。「3つのことが備わっている者は、それにより、信仰の甘美さを見い出すだろう。」そしてその1つとして、こう挙げられました。「アッラーが不信仰から救い出して下さった後、そこに戻ることを、あたかも地獄の炎に投げ入れられることを嫌うがごとく、嫌うことである。」(アル=ブハーリー21、ムスリム43)
  • 自分の信仰心が弱まり、罪に傾いてしまうような人々や場所をけること。
  • 自分が死ぬまで、その宗教において堅固であれるよう、アッラーUによく祈ること。それはどんな形でも、どんな言葉によるものであっても、構いません。クルアーンとスンナには、こうあります:
    • 『われらの主よ、私たちを導かれた後、私たちの心を逸らさないで下さい。』(クルアーン3:8)
    • 「心を転がされるお方よ、私の心をあなたの宗教において堅固にして下さい。」(アッ=ティルミズィー2140)

悔悟の後は?

人が悔悟すれば、アッラーUはその罪を‐それがいかに大きく深刻なものであったとしても‐、全てお赦しになります。かれのご慈悲は、全てに及んでいるのです。アッラーは仰せられました。『言え。“(罪を犯すことで)自らに対して度を越していた、わがしもべたちよ。アッラーのご慈悲に絶望するのではない。本当にアッラーは、罪を全てお赦しになるのだから。実にかれこそは、お赦し深いお方、慈愛深いお方である。”』(クルアーン39:53)

こうしてムスリムは正直で正しい悔悟の後、罪のない状態となります。それどころかアッラーは、正直・従順・本気で後悔する者に、偉大な特性‐その者の悪行を、善行へと変えること‐でもって報われるのです。『ただし、悔悟して信仰し、正しい行いを行う者、その者たちは、アッラーが彼らの悪行を善行に変えて下さる。そしてアッラーはもとより、お赦し深いお方、慈愛深いお方なのである。』(クルアーン25:70)

 このような状態にある人は、その悔悟を維持し、それを逆転させようとするシャイターンの罠にかからぬよう、全力を尽くさなければなりません。

信仰の甘美さ:

アッラーとその使徒への愛情が、自分の中で最も強い愛情であり、他人のことも、アッラーへの近さ・宗教的正しさ・イスラームの程度に比して愛するようになった時。また、不信仰・シルク・迷いの状態に戻ることを、あたかも地獄の炎で焼かれることを嫌うがごとく、嫌うようになった時。この時、ムスリムは信仰の甘美さと美味を見い出します。彼は、アッラーの教えと、導きという自分への恩恵ゆえ、心の中にアッラーへの親しみ・安心・幸福を見い出すのです。預言者rは、こう仰いました。「3つのことが備わっている者は、それにより、信仰の甘美さを見い出すだろう:アッラーとその使徒が、それ以外の誰よりも愛する存在となること。誰かを愛するとき、アッラーゆえにしか愛さないこと。アッラーが不信仰から救い出した下さった後、そこに戻ることを、あたかも地獄の炎に投げ入れられることを嫌うがごとく、嫌うこと。」(アル=ブハーリー21、ムスリム43)

導きと悔悟という恩恵への感謝

ムスリムが、悔悟と導きという、アッラーの自分に対する恩恵に感謝するために行う最も偉大なことに、以下のようなものがあります:

  1. 宗教を固守し、そこにおける害悪に耐えること:

貴重な財宝を持つ人は、それに悪戯や盗みの手が届かぬよう守り、それを災いするようなあらゆることから保護しようと、躍起になるものです。そしてイスラームは全人類への最も偉大なプレゼントであり、単なる思想や、人が好きな時にだけ行うような趣味などではありません。それは、人生のあらゆる局面を司る宗教なのです。アッラーがその使徒に対し、イスラームとクルアーンを固守し、まっすぐな道であるそこにおいて妥協しないよう命じられ、こう仰せられたのは、こういった理由からなのです。『ゆえに、あなたに下されたものを固守せよ。本当にあなたは、まっすぐな道にあるのだから。』(クルアーン43:43)

ムスリムは改宗後、いかなる試練に遭おうとも、悲しんだりしてはなりません。そのようなことは、試練におけるアッラーの決まり事なのです。かつて、私たちよりも優れた人々がこの上なくひどい試練に遭い、忍耐して努力したものでした。アッラーが私たちに語って聞かされた、かれの預言者たちをご覧下さい。いかに多くの試練が、‐遠戚の者よりも、近親の者から‐彼らを襲ったことでしょうか。それでも彼らはアッラーの道において彼らに降りかかる災難にくじけず、自分たちの態度を変えることもありませんでした。このようなことは全て、あなたの信仰心の誠実さと確信の強さを試す、アッラーからの試練なのです。だから、この試練を乗り越え、あなたの宗教を固守し、アッラーに祈って下さい。預言者rは、次のような祈りを多く仰ったものなのです。「心を転がされるお方よ、私の心をあなたの宗教において堅固にして下さい。」(アッ=ティルミズィー2140)

 この意味において、アッラーIはこう仰せられました。『人々は、“信仰しました”と言いさえすれば、試練に遭わずに放っておかれるとでも思ったのか? また、われらは確かに、彼ら以前の者たちを試練にかけたのだ。それでアッラーはきっと、正直な者たちを明らかにされ、嘘つきたちを明らかにされる。』(クルアーン29:2-3)

  1. 英知とよき訓戒と共に、人々をイスラームへと招くことの努力:

これは人間が、自分に対するイスラームの恩恵に感謝する、最も偉大な手段の1つです。また同時に、これはアッラーの宗教において確立するための、最大の原因でもあります。自分を疲れさせ、苦しめ、日夜を反故にした重病から回復し、不治の病から治癒する者、そしてそれに対する有益な治療法を知った者は、それを人々の間に広めるにあたって最も積極的な者となります。そして、それは特に家族・親戚・自分が最も愛する人々に関して、顕著なのです。以下に、この件のご説明をしましょう: